ディエゴ・ベラスケスの絵画と人物像についてわかりやく紹介します。

どうも!Houichiです。絵を描いたり絵を教えたりしています。

油絵具で描く絵画作品
油絵の具による絵画作品

ベラスケスといえばスペインの画家で、17世紀に活躍した「画家の中の画家」と呼ばれた巨匠です。カラヴァッジョ やルーベンスなど名だたる巨匠の影響を受けた彼はフェリペ一4世など王族関係者だけではなく、王宮に住む人々の肖像画なども描いていました。また宗教画も手かげています。

また、後の印象派に多大な影響を与えたと言われていて古典主義の図像学やルネサンスの優雅さを受け継ぎながらも、省略画法による写実性を確立させました。

これによってスペインの写実的絵画の型の基礎を作り上げたとも言えます。

ではでは、彼の生涯での出来事と作品について見ていきましょう。

目次
・青年期 何でもこなす秀才
・中年期 宮廷画家のスタートとイタリアでの収穫
・中年期 宮廷にて多方面の活躍

・青年期 何でもこなす秀才

家柄は商人とも言われたりしますが、改宗ユダヤの家系の可能性が高いとも言われているんですね。

スペイン南部の都市であるセビリアに生まれ、11歳頃に地元の有力な画家のフランシスコ・パーチェコの工房に弟子入りします。。

パーチェコは頭脳優秀な理論家だったそうで、ベラスケスは絵画だけではなく彼から様々な教養を学びました。。ベラスケスもパーチェコの影響を受けてか、多方面に才能が垣間見れたんですね。

それでもやっぱりベラスケスは絵に一番興味を引きつけられます。そしてわずか18歳という若さで独立します。

もちろん優秀であるため、最高位に位置付けられる宗教画の親方として認められました。

またパーチェコにも可愛がられ、ベラスケスはパーチェコの娘であるフアナと結婚をします。

この時期はまだ画力も伸び盛りで、主にスペイン当時の主流である室内情景や静物画を描いていました。

この頃の作品は明暗を劇的に使い厳格で静かな印象を与えます。。この絵のスタイルはかなりカラヴァッジョの作品の影響を受けていますね。

そして24歳でフェリペ4世から肖像画の注文を受け、これが大好評でした。このきっかけによりベラスケスは宮廷画家としての人生をスタートさせます。

フェリペ4世」(1626年〜28年)

この肖像画以来より前の初期の代表作に「卵を料理する老婆と少年」「セヴィーリャの水売り」などがあります。

卵を料理する老婆と少年」(1618年)

「セヴィーリャの水売り」(1620年)

・中年期/宮廷画家のスタートとイタリアでの収穫

晴れて宮廷画家としてキャリアをスタートさせたベラスケスでしたが、フェリペ4世はベラスケスを大変気に入り、度々ベラスケスのアトリへを訪問したと言われています。

1928年にはベラスケスはスペインに派遣されたピーテル・パウル・ルーベンスと出会い親交を深めます。

https://houichiart.com/peter-paul-rubens-painting/ルーベンスと彼の絵画についてはこちら

これによりベラスケスの絵に対する考え方や表現の変化が生まれ始めます。またルーベンスのイタリア渡航の影響もあり、美術品の収集と絵画の修行を理由としてイタリアの旅行へといきました。

イタリアでは自由に美術館へ行き、スペインでは得られない多くのものがありました。また当時スペインはカトリックであったため、ヌードのような人体の絵画作品を描くことは禁止されていたそうで、絵描き(画家)は人体の練習に物足りなさを感じていたことでしょう。

ベラスケスはイタリアへの旅行中にヌードの作品の「鏡のヴィーナス」を描き、人物画に必要な人体の理解を深めていったのでした。。

また有名な作品である「教皇イノケンティウス10世」が誕生したきっかけにもなりました。

「鏡のヴィーナス」(1647〜1651年)

教皇イノケンティウス10世」(1650年)

ベラスケスは生涯に2度イタリアへ行き、作品はルネサンスの人体の理想の追求やベネチア派の色使い、筆致の特徴を自身の絵画作品に取り入れ、作品に柔らかさや筆致による新鮮さが増しました

・中年期 宮廷にて多方面の活躍

1651年に2度目のイタリアから帰ってきたベラスケスはその功績と信頼によりフェリペ4世から王宮の鍵をすべて預かる「王宮配室長」という役職や「宮廷装飾の責任者」を任せれました。

当時画家は「職人」という比較的低い身分として扱われていたことを考えると、ベラスケスは運と実力によって画家にもかかわらず高い身分と影響力を得たと言えます。

そしてこの時期にも数々の傑作を生み出しています。。

アラクネの寓話(織女たち)」(1657年)

ラス・メニーナス(女官たち)」(1656年)

役人としての仕事をこながら、晩年まで安定的に良作を生み出し続ける実力は目を見張るものがありますね。

しかし、1660年フェリペの娘であるマリー・テレーズ・ドートリッシュとフランス国王ルイ14世との婚儀の準備を任せられるんですが高齢でのハードな仕事が重なり、1660年8月6日にマドリードでその生涯を閉じました。

享年61歳のことでした。

とは言え十分な活躍をされたことは事実で、後世のアートの世界に多大な影響を与え、その名は今も残り続けています。

まとめ

ベラスケスは素早い筆致で流麗に描く画家と考えられていて、それは間違い無いのですが、慎重に筆を置いていき、一作品に数ヶ月かかるものもあり、意外と時間をかけていたそうです。

現代の人はものごとをじっくり見つめる忍耐力を彼から学ぶことができそうですね。。

最後までありがとうございます。楽しい1日をお過ごしください!

 

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