ポール・セザンヌ/近代絵画の父と呼ばれた彼の作品と生涯をまったり解説します。

どうも!Houichiです。絵を描いたり、絵を教えたりしています。

油絵具で描く絵画作品
油絵の具で描く絵画作品

セザンヌは色味が豊かな静物画や風景画を描いた画家で、日本でも好きな人が多いのではないでしょうか。。

そんなセザンヌは近代絵画の父と呼ばれるようになったのですが、どんな経緯でそうなったのか彼の生涯と作品を頼りに探りたいと思います。

目次 

・田舎に生まれ、自然を愛する
・パリで画家修行
・独自の絵画を追求する

・田舎に生まれ、自然を愛する

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静物」1887年

 ポール・セザンヌ

ポール・セザンヌは1839年に南フランスのエクスという田舎町に生まれました。絵を始める前は銀行経営者である父のルイ=オーギュストからの手厚いサポートで法科大学へと進み、弁護士を目指します。

しかし、セザンヌはなかなかやる気に慣れず、在学中にデッサン教室に通うようになるんですね。

そして中学校からの友人である小説家のゾラに画家になるよう強く勧められ、この影響も相まって、セザンヌは父の反対を押し切って、パリへ行くことを許してもらいます。

 エミール・ゾラ

だけれど初めての都会には慣れず、また絵も評価されなかったので、すぐに地元のエクスに戻ってしまいます。セザンヌの田舎を好むことがよく分かるエピソードですよね。

・パリで画家修行

 「老人の顔」「1866」

パリから帰ってきたセザンヌはしばらく父の銀行の仕事に就くんですが、やっぱり性に合わなかったみたいで、1年ほどしか続きませんでした。。

父は息子の仕事に対するやる気のなさと、絵に対する熱い姿勢を感じて再びセザンヌのパリ行きを勧め、2回目のパリへの挑戦が始まります。

セザンヌは法学の大学を中退し、1861年4月にパリへ移ります。

初めの方はルーヴル美術館でベラスケスやカラヴァッジオの絵に感銘を受けました。。そのためアカデミーの受験を試みたのですが、当時のアカデミーの写実的な描写能力は凄まじいレベルだったので、セザンヌはエコール・デ・ボザールへの入学に受かりませんでした。。

そこで、別の手段として私塾のアカデミー・シュイスに通う様になるんですね。ここで、カミーユ・ピサロアルマン・ギヨマン印象派作家と出会い、交流を持つようになります。

この時期のセザンヌのルーティーンとして、

朝はアカデミー・シュイスに通い、午後はルーヴル美術館か、エクス出身の画家仲間ジョセフ・ヴィルヴィエイユのアトリエでデッサンをしていたと言います。そのほか、ゾラや、同じくエクス出身の画家アシル・アンプレールと交友を持ちました。

その中でもセザンヌは印象派のカミーユ・ピサロと特に親しくなります。初め、ピサロとセザンヌの間で1860年代にできた友情は、師匠と弟子の関係だったんですね。。

セザンヌは以前、クールベやドラクロワが描いていたような明暗対比が強く、想像でイメージを描くことが多いロマン主義的な作品を描いていたのですが、

ピサロの影響でセザンヌの作品は造形的な部分色彩面の両方で変化していきました。

具体的には自然を直接観察し、作品は色彩が明るく豊かで印象派的な表現になっていったんですね。

以後10年間、2人はルーヴシエンヌやポントワーズなどを旅して風景画を描き、共同創作的な関係にな離ました。

カルチエ・フール、オーヴェル=シェル=オワーズ(風景、オーヴェル)」(1873年)

・独自の絵画を追求する

ミルク缶と林檎」(1879〜1880年)

さてピサロをきっかけにセザンヌは印象派の画家たちと仲良くなり、2回印象派展に出品しています。

また当時の権威であったパリ・サロンにも出品しましたが、ほとんど落選の連続でした。

やがてセザンヌの絵画は、1863年に落選展で初めて展示されました。落選展はパリ・サロンの審査で落ちた画家たちの敗者復活戦のような展示でした。ここにセザンヌを含めた多くの印象派の画家たちの作品が展示されることになるんですね。

当時印象派の作品はあまりにも前衛的で受け入れられ難かったんでね。。

その後もセザンヌは1982年まで定期的にパリ・サロンに出品を続けましたが、唯一「Portrait de M. L. A」という作品が入選しました。↓

絵のタイトルはおそらく「Portrait of Louis-Auguste Cézanne」の略で、現在ナショナル・ギャラリーが保存している「レヴェヌマン紙を読む画家の父」の作品の事を指していると言われています。

これにはギュメという審査員の貢献が大きいと言われていて、ギュメは弟子の1人を入選させることができるという特権を使い、ギュメの弟子という名目でセザンヌの作品を入選させたのでしょう。。

1869年、後に妻となるオルタンス・フィケ(当時18歳)と知り合い、後に同棲すルのですが、、厳格な父を恐れて彼女との関係を隠し続けました。

また嬉しいことに、1873年にパリ・モンマルトルに店を開いた絵具商タンギー爺さんことジュリアン・タンギーはピサロの紹介で知り合ったセザンヌの作品を大変気に入り、セザンヌのファンになりしました。

ちなみにセザンヌは、この時期にピサロから筆触分割などの印象主義の技法を習得しています。

次第にセザンヌは印象派の光と色の饗宴のなかで形態が溶け込み、視覚の快楽のなかで造形への意志が希薄になる態度に不満を持ちはじめてきました。これをよく表す例として、

セザンヌはモネの目の素晴らしさをたたえながらも、「モネは1つの目にすぎない」と言い切ったんですね。

同時に印象派の色彩の輝きを失うことなく、確固とした造形世界を構築して視覚認識を根本的に変革をしたい思いがふつふつと湧いてきたのです。

そしてその答えを見つけにパリを後にし、故郷エクスへと戻ります。

セザンヌが印象派から完全に抜け出し、独自の絵画世界を確立するのは1880年以降になります。

それは印象派の色彩を生かしつつも実践された古典主義の統合と形容できるような達成でした。。

りんごとオレンジ」(1899年)


ちょうどこのころ、妻子の存在を父にバレて、父子の関係は悪化します。

送金が途絶え、緊急事態に。。。なんとか食いつなごうとゾラに月60フランの援助を頼んだのでした。

⭐︎キュビズムの先駆けとなるセザンヌの新たな絵画理念

セザンヌは自然に内包する幾何学的要素、つまり形を単純化することに関心がありました。またセザンヌは「円筒、球、円錐で自然を表現したい。たとえば木の幹は、円柱、りんご、オレンジの球で構成される」と話している。

さらにセザンヌは「知覚の真理」を把握したいと考えていたので、複数の視点での美的表現を追求し、1つの対象でもわずかに異なる表現を同時に鑑賞者に体験させる表現方法を探っていたんです。

このセザンヌの美術思想こそキュビスムに受け継がれていくんですね。。

サント=ヴィクトワール山」(1904年)

セザンヌは「印象派をうつろでないしっかりしたものとして、美術館にふさわしい芸術にしたい」と強く主張し、それを達成するために古典主義の確固たる形態の構造印象派の自然観察を組み合わせることを始めます。

モチーフの構造、量感と光の色彩の融合を多視点で捉えるとも言えるかもしれませんね。

もう一つの特徴として、筆跡(ブラシストローク)という技法をより抽象的表現として使うことを始めました。つまり筆跡そのものが主張をする様な描き方です。

これは更にのちの抽象表現主義にも影響を与えます。

この考えによってセザンヌは風景、静物、人物を描くときは対象だけでなく一つの構成要素として描くことをより意識する様になり、モチーフの質感から解放される様になっていきました

セザンヌはこの理念を実現するのに気の遠くなる様な制作時間を費やしました。。

ローヴから望むサント=ヴィクトワール山」(1906年)

晩年

1890年代になって、セザンヌの作品は次第に世に知られるようになります。ブリュッセルの「20人展」やパリのアンデパンダン展などの当時の展覧会など、サロンに反発する前衛的な展示に招待されました。

また立て続けに1895年11月、パリの画商アンブロワーズ・ヴォラールが、ラフィット街の画廊で、セザンヌの初個展を開きました。そしてこれもまたピサロが初めにヴォラールにセザンヌの個展を開くことを勧めたんですね。

友情に乾杯!

一般市民の認知度と商業的成功にもかかわらず、セザンヌは芸術的に孤立性が増す作品を制作していきました。過去にすがらない点はアーティストとして見習うべき点ですね。

そしてフランス南部、パリから遠く離れた彼の最愛の場所プロヴァンスで制作をしていきました。

更に幸いにして晩年にはエミール・ベルナールやモーリス・ドニなど若い世代の画家たちに理解者があらわれました。

そんな独自の道を進む画家の激しい生き様を見てきたのですが、死に様もかっこいいいんです。

それは1906年10月15日のこと、、、

セザンヌは野外で制作中に大雨に打たれてしまうんですね。

これが原因で体調を悪化させ、肺充血を併発し、23日朝7時頃、自宅で死去しました。翌日、エクスのサン・ソヴール大聖堂で葬儀が行われました。

まとめ

さてセザンヌがなぜ近代絵画の父かわかったと思います。まとめると、

古典主義と印象派に新しい絵画のヒント見出し、それは独自のアプローチで絵画作品にし、次の時代の作家に多大な影響を与えたからなんですね。

また自分の軸もしっかりしていて、確固たる信念が垣間見れたのではないでしょうか。

最後までありがとうございます。楽しい1日をお過ごしください。

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