ルドンが描く空想画とは?・象徴主義の巨匠

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油絵具で描く絵画作品
油絵の具で描く絵画作品

ルドンは19世紀から20世紀初頭に活躍したフランスの画家です。彼は顔や眼球をよくモチーフにして描いているんですが、一体どう言ったきっかけでそのよな表現になったのか、またどのような人生を辿っていったのか、

彼の有名な絵画作品と一緒に見ていきたいと思います。

目次
・田舎で培われた創造性と原風景
・空想絵画の礎となった写生への関心
・黒の時代
・闇から色光の世界へ
・色彩のハーモニーに目覚めるルドン

・田舎で培われた創造性と原風景

1840年オディロン・ルドンはフランス南部のボルドーという町で生まれました。そして、生まれてすぐ、ボルドーに近いペイルルバードで、11歳まで過ごすことになります。

彼には兄も一人いて、音楽の才能に恵まれていました。その影響もあってルドンも幼い頃から音楽に親しんでいたんですね。これが後に彼の作品に大きな影響を与えます。

また彼は虚弱体質で、激しい運動はできなかったんですが、それでもペイルルバードの自然や屋敷に物陰は彼の空想癖を膨らませ、豊かな創造性を育んでいきました。

そんな彼は7歳の時フランスに滞在したとき、美術館にいきました。そこで出会った絵画の色彩による劇的表現に感動し、幼い心に美に対する関心を抱かせたんですね。。。

*ルドンの時代の美、絵画の傾向って?

ルドンの生きた19世紀中期から後期にかけては美術に対する価値観の転換期だったんですね。

少し前の時代から写実主義や新古典主義が生まれ、ありのままの自然を写とったり、形を輪郭や明暗を厳しく正確に捉える堅苦しい表現が主流だったんですね。

 

新古典主義の画家・ダヴィッド「マラーの死」1793年

しかしルドンが活動していた時代からそう言ったグループに対して反発する人々が出てくるようになったんです。その一つが日本でもよく知られる印象主義がですね。。自然をありのままではなく、光の柔らかい変化を印象で捉えることで新しい表現を模索した作家たちのことですね。

 印象派の作家 モネ「印象・日の出」1872年 キャンバス、油彩

 ルノワール「二人の姉妹」1881年 キャンバス、油彩

一方ルドンは印象主義に対しても距離を置いていました。。彼は自然を写しとるのではなく、自然や歴史、宗教、神話から得たインスピレーションから自分の精神の世界を表現しようとしました。

この時代にはもう一つの概念である象徴主義が生まれ、ルドンはその先駆けといえます。

 

ギュスターヴ・モロー 「出現」1876年 紙、水彩

 

アルノルト・ベックリン「死の島」1883年 板、油彩

 

カルロス・シュヴァーベ「墓掘り人夫の死」1890年 油彩

ではルドンの作品を見ていきましょう!

・空想世界の礎となった写生への関心1851〜1869

ルドンが駆け出しの時は師であるスタニスラス・ゴランの教えから、自然の写生に励みます。ここでも彼の物寂しげで独特な雰囲気が出ており、ありふれた風景画の中に孤独さを感じさせますよね。

時はしばらく経ち、二人目の師ジャン=レオン・ジェロームの絵画教室に通うようになったルドンは初の挫折を味わいます。。ジェロームは新古典主義の画家だったため、ルドンはどうしてもその正確に輪郭線を追い、古典的で堅苦しい明暗法を用いて描くことが自分には向かないと痛感したんですね。

3ヶ月早々でその教室をやめてしまったルドンは、3人目の師であるロドルフ・ブレスダンに出会い、そこで版画を教わります。。

ここで彼の絵画の主題も決まっていきます。

ブレスダンの影響で彼はロマン主義的で、神話などの伝奇的な主題を描くようになり、画材もこの頃は油絵ではなく木炭による白黒の素描を描くようになったんですね。

ルドンはロマン主義や象徴主義の影響と共に、彼の作品が生まれて行きました。他にも同時代の文学者からも影響を受けながら、また文学者たちにも影響を与えて行きました。

もう一人、ルドンにとって作品の方向性に影響を与えたのが植物学者であるアルマン・クラヴォーです。

クラヴォーはルドンに顕微鏡下の世界から文学、哲学、美術まで青年時代のルドンの精神的指導者だったんです。植物に動物的顔面がついた作品も彼からの影響が大いにあります。

 

ルドン「おそらく花の中に最初の視覚が試みられた」1883年 紙、リトグラフ

それではもう少し黒一色による彼の傑作を見ていきましょうー。

・黒の時代1870〜1888

ルドンが黒だけで絵を描くようになったきっかけは精神世界を表したかった理由が大きいんですが、それはその時代の自然主義に対する飽きから来るものでもありました。

また当時ルドンは色彩を精神性を損なう官能的なものとして捉え、使うことを控えていたんですね。

そのためルドンは当時いくらかの画家たちの間でブームになりつつあった木炭という素材を愛用するようになりました。

彼の木炭画は当時の新しい芸術理念を求めた文学者や若い芸術家に大いに支持されました。そしてこの時期にルドンはファンタン=ラトゥールに出会います。ラトゥールから転写法によるリトグラフの技法を教えてもらったことによってルドンは木炭画を版画に転写し、作品を量産することに成功するんですね。

またこの頃に生涯の伴侶であるカミーユ・ファルトとも出会い、ルドンが40歳の時に二人は結ばれます。

ではこの頃に生まれた作品をいくつか紹介しましょう。

「水の守護神」1878年 紙、木炭

「不思議な花」1880年 紙、木炭

「目は奇妙な気球のように無限に向かう」1882年 紙、リトグラフ

これらの作品にもクラヴォーの影響が見て取れますし、3つ目の作品はエドガー・ポーという小説家の作品からのイメージを膨らませた版画作品です。

ルドンにとって当時西洋の関心ごとであったミクロとマクロの宇宙観やダーウィンの進化論、無意識の哲学が作品の世界に反映されているんですね。つまり見えない世界への興味と探究だったんです。

・闇から色光の世界へ1889〜1898

1880年代前までは不合理な「黒」は世間には受け入れ難かったんですが、世紀末に近づくにつれてルドンの黒の画は認められるよになって行きました。

それに従って、ルドンの中にある反発心も穏やかになりました。また家庭を築き、息子のアリも誕生したことによる心境の変化があらわられ、黒一色にこだわる必要がなくなって行きました。

この時期のルドンは彼の有名な「瞳をとじて」のシリーズで初めて空想のイメージをに色付けして描いた作品なんですね。

他にも木炭画の上にパステルで加筆した作品もこの時期に生まれました。使う画材も増えて行き、ますます作品の幅が広がって行きました。。。

・色彩のハーモニーに目覚めるルドン1899〜1916

いよいよルドンの作品の色彩の豊かさは増して行き、慕ってくれる若い画家も増えて行きました。毎週金曜日にはルドンの自宅では芸術について話したりするサロンも開かれるようになりまた。

彼はパステルを自在に操り、花や花と人物の溶け込むような絵画、を肖像画や神話の再解釈、東洋と西洋の宗教など、様々な神秘性を探究して行きました。

また作品には音楽のハーモニーが感じられ、その意識が色彩構成に現れています。

ではこの時期の傑作を見て行きましょう。

「仏陀」1905年 厚紙、パステル

「オルフェウスの死」1905〜1910年 キャンバス、油彩

「アポロンの戦車」1905年 キャンバス、油彩、パステルで保彩

「キュクロプス」1914年頃 板、油彩

*室内の装飾がも手がけるようになる

この頃からルドンは寺院や室内の装飾画も手がけるようになります。まず60歳の時に晩年の最大の支援者であるドムシー伯爵の城の食堂壁面装飾を手掛けます。

「グラン・ブーケ」

1901年 キャンバス、パステル

この作品の最大の特徴は中央の大きな花束の絵がパステルで描かれていることです、大抵ルドンの装飾がはテンペラで描かれることが多いのですが、この一枚だけ特別なんですね。

他にもフォンフロワド修道院図書室の壁画装飾も有名です。

「昼」

「夜」

上下合わせて1910〜1911年製作 キャンバス、テンペラ

・まとめ

ということで今回はオディロン・ルドンについて紹介させていただきました。。

今となっては俯瞰して彼の作品と時代を見ることができますが、同じ時代にいたならば、かなりの勇気と問題意識によって描かれた、ラディカルで全く新しい絵画であったということを画家仲間や文学者、時代の人々に抱かせたことでしょう。。。

今回も最後までありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。

楽しい1日をお過ごしください。

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