すぐ分かるイタリア・ルネサンスの有名絵画・盛期編

どうも!Houichiです。元予備校講師で、今は絵を描いたり、ブログを書いたり、Youtubeで動画を配信しています。

油絵具で描く絵画作品
油彩で描く絵画作品

前回に引き続きイタリア・ルネサンスの有名絵画についてです。そして今回は盛期イタリア・ルネサンスについて話していきますー。いよいよ有名な作家が登場していきますね。。

目次
・ヴェロッキオ
・レオナルド・ダ・ヴィンチ
・ペルジーノ
・ボッティチェリー
・ミケランジェロ
・ラファエロ

・ヴェロッキオ(1435- 1488年

ヴェロッキオは写実的表現を普及させたマザッチョやフランドル絵画、フィリッポリッピの特徴を踏まえた絵画表現を発展させて行った画家です。

また最も優れた美術工房の一つを運営していたリーダーでした。若かりしダヴィンチも彼の工房で絵の上達に励んでいたんですね。。

彼の代表作は「キリストの洗礼」(1472〜76)です。

これはダヴィンチとの共同作品なんですよね。。イエスとヨハネをヴェロッキオが、左下の天使らをダヴィンチが描いたと言われています。

この作品の特徴を見ていきましょう!

1つ目は光線の統一ですね。この特徴はまさにマザッチョから受け継いでいるものですね。

2つ目は人間らしい表情ですね。神々しい雰囲気を保ちながら、人物の表情が非常に生身の人間の存在感を感じさせます。

3つ目は現実風景と空気遠近的空間表現ですね。

この作品では現実的な風景を空気遠近法で描かれていますが、濃淡だけでなく、ぼかしが意図的に使われているんですね。。

このぼかしの技法は前の14世紀では見られなかったんです。

4つ目は解剖学的人体表現です。

初期ルネサンスでは人体を観察に基づいて再現することを良しとする画家と

理想的な形を追求して単純化する画家に分かれていたんですが、盛期ルネサンスでは人体解剖に基づいた正確な人体表現が基準になっていきました。。

そしてヴェロッキオも人体解剖で得た知識を元に作品を描いていたんですよね。

「キリストの洗礼」ではキリストの筋肉が非常にリアリスティックに描かれています。

・レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 - 1519年

誰もが知る万能の天才と呼ばれる芸術家であるダ・ヴィンチなんですが、彼は軍事技術者に任命されたこともあるんです。。イケメンでもあります(笑)

そして納得するまで作品を描き続けた結果、延期に延期を重ね(笑)現存する作品はわずか15枚しかないんですよね。絵の依頼主にはかなり迷惑をかけたと思います。

だだ出来上がったものの中に大変依頼主を満足させたものがある上に医学や数学、科学など多方面で優れていたため、仕事に困ることはあまりなかったんですね。。。

それでもドローイングや手稿は現存だけで900枚近く残されていて、後世のアーティストに多大な影響を与えました。

そこで今回はモナリザと同じく代表作の一つである「岩窟の聖母」(1483〜86年)を紹介します。

この作品はおそらく聖母の処女性を表す無原罪の御宿を描いたんですが、

かなりの問題作で、彼は自身がこだわっていた登場人物の緊密性や動きを出すためにイエスを床の不安定な位置に配して描いてしまうんですね。

そのため依頼主が求める主題から外れて揉事になってしまったんです。

それでも不安定なバランスを整えてバランス良くしていく構図法を作り出し、作品自体は傑作なんですよね。

では作品の特徴を見ていきましょう!

1つ目の特徴はヴェロッキオの影響がしっかりと見て取れるところですね。統一された陰影と解剖学的に正確な人体ですよね。。

2つ目の特徴は顔と表情と動作の関連性と象徴的モチーフによる人物の内面の表現です。

ちなみに彼は手稿で人物の表情を通して内面まで表さなければいけないというようなことを書いるんですね。

3つ目は落ち着いた色彩を使っている点ですね。

ヴェロッキオ工房では色鮮やかな作品も描かれていたんですが、ダヴィンチは落ち着いた色彩を好んで使っていたんです。

・ペルジーノ(1448-1523年

ペルジーノはイタリアの良質で多作な画家でした。この性質は弟子であるラファエロにも受け継がれるんですよね。

彼の生きた15世紀後半はイタリア国内では教皇庁とフィレンツェ共和国の間で内戦状態でした。

そんな時にオスマン帝国が攻めてきたので、これをきっかけにイタリア国内でも平和協定を結び、共にオスマンに対抗しようとしたんですね。

この平和協定の証にシスティーナ礼拝堂が建てられ、ペルジーノは装飾画の代表として制作を命じられたのです。

その装飾画の1つが「天国の鍵の授与」(1482年頃)なんです。。

ではこの絵について話していきましょう。。

1つ目は「天国の鍵の授与」のシンメトリック性です。
この作品システィーナ礼拝堂の装飾画の中で最も安定した構図で構成されています。

手前の場面はイエスが人々を正しき道へ導くリーダーにペテロを指名し、ペテロは教皇の位に就任することになるんですね。。

2つ目の特徴は異時同図法を活かしている点です。

これは1枚の画面上に複数の時系列表現する方法なんですが、15世紀初頭から使われるようになりました。

近景が「天国の鍵の授与」について、

中景の左側が「税金をめぐる議論」、

中景の右側が「石で殴られそうになるイエス」で構成されています。

3つ目は明解な遠近法を使っているところです。

空気遠近法と透視図法の2つの遠近法が見事に活用されています

以上のようなストーリと空間の明確性や安定性は当時ローマ教会が求めていた規範だったようです。。。

安定性恐るべし。。。

・ボッティチェッリー(1445〜1510 年

ボッティチェッリーは15世紀中盤まではダ・ヴィンチやペルジーノと同様に遠近法で作り出した論理的な空間に内面性を感じさせる人物を描きました。

また銀行家で画家のパトロンでもあるメディチ家にとても可愛がられていた売れっ子作家でした。

そして15世紀後半に入ると徐々に独自のスタイルと新しいテーマを確立して行ったんですよね。

では代表作を見ていきましょうー。

「春」1482~1485年頃

これはボッティチェッリーの代表作なんですがこの作品を例に特徴を説明しますね。

この作品では地平線があいまいで、周りの空間もオレンジの木々囲い遠景の空を遮っていますよね。

人物も横並びで、奥行きを感じさせにくい設定にしています。

作品として魅力的な部分はやっぱり絵画ならではの美的要素を強調して描き出そうとしているところですね。

人体のデフォルメされた優美さオレンジと花びらの装飾的な美しさに目を見張るところがありますね。。

そしてもう1つ話しておくべきことは作品のテーマがギリシャの古典を元にしていることですね。。当時としては他に扱う画家は無く特殊だったんです。

・ミケランジェロ(1475〜1564年)

ミケランジェロは当時、唯一ダヴィンチと肩を並べられる作家であったと今でも言われていて、想像力豊かな彫刻家であり、画家でもあったんですね。

有名な彫刻作品に「ダヴィデ」があります。他には石膏デッサンでよく描かれる「ブルータス」なんかもミケランジェロ作です。

性格は神経質だったとも言われます。その割にはすごく長生きでした。。88歳まで生きました。。

では彼の有名な絵画の内、壁画作品である「アダムの創造」(1511年頃)を見ていきましょう!

「アダムの創造」はシスティーナ礼拝堂の天井画の1部で、ミケランジェロは教皇ユリウス2世に依頼され、制作にとりかかりました。

当時彫刻家であったミケランジェロは壁画を描いたことが無く初めは断っていたんですが、押しに弱く最終的に受け入れたんですね。。

ここでこの「アダムの創造」の特徴を見てみると、、筋肉隆々とした創造主とアダムが今にも指同士を触れ合わせようとしている場面ですよね。

まさに神がアダムに人間の息吹を吹き込もうとしています。

ミケランジェロはこの作品で遠近法的な空間よりも人間ドラマのようなイメージを強調するために背景に具体的なものや地平線を描かず、

人物同士のポーズや配置による迫力を最大限に活用したんです。。

この人体の誇張とドラマ性は次の世代に大きな影響を与えていきました。

・ラファエロ(1483〜1520年)

ラファエロはルネサンス盛期の代表的な画家の一人です。ただ37歳という若さでこの世を去ってしまいます。。それでも多作な上にイケメンなんですね(笑)

彼はペルジーノの工房で絵を学び、人物と背景の描き方や色使いを習得しました。

彼は師匠であるペルジーノだけでなく、ダヴィンチからも非常に影響を受けています。

一体どんな影響だったのでしょうか?

ダヴィンチから受けた影響は伝統的な図像を避け、新たなテーマと図像を用いて人間味のある宗教画を仕上げるというものでした。

例えば、14世紀後半までは宗教画では聖母の「謙譲」が多く描かれたんですが、ラファエロはダヴィンチに習って、聖母子像の中でもイエスの「受難」をテーマに描いたんです。

どういう特徴があるのかといえば、、、

彼の代表作である「聖母子と洗礼者ヨハネ」(1506年)では「受難」のテーマを元に描いていますが、

親子が無邪気に戯れている印象が伝わり、とても人間的な表情と関係性が表現されているんですね。。

その上でモチーフや仕草でイエスの受難を寓話的に表現しているんですよね。。

ダヴィンチの「聖母子と聖アンナ」(1501〜1517年頃)

と比べるとマリアがイエスを抱き寄せようとする動きがよく似ていますよね。。。

まとめ

イタリア・ルネサンス盛期だけあって有名な作家も多く、少し前の時代と比べて個性豊かな作品がたくさん生まれた時代だったと言えるでしょう。。

やっぱり個性が強いとなかなか依頼主との関係が難しい部分があるのも否めないですね、、、

最後までお読みいただきありがとうございます!では次回の記事でお会いしましょう。

楽しい1日をお過ごしください!

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