セオリーはあるが正解はないはどういう意味?

セオリーはあるが正解はないはどういう意味?

どうも!講師のHouichiです。今回は「セオリーはあるが正解はない」

というテーマで話して行きたいと思います。

今回扱う「セオリー」は理論という意味で進めて行きたいと思います。

アートやデザインといった分野はある程度方向性はありますが、正解はないと考えています。

他の分野に当てはまる部分も大いにありますが、これは現在まで世に出てきた創作物や

商品が試行錯誤の結果であり、その中に一定の共通する法則があるだけで、

絶対に~であるということを説明する物ではないからです。

この考えがあれば、制作課題に対して柔軟に対応する力がついて、

良い流れに乗ることができるんですね。

例えば平面作品を描く場合、明暗のバランスが重要な要素で、この変化や対比によって

望むイメージを作り出すことができます。これはデッサン、水彩、油彩、

グラフィックデザインなど、分野問わず、当てはまります。

ただ明暗で考えた時にジャンルごとに特有の特性みたいなものがあって

、ここにはセオリーを踏まえつつ無限の可能性があって、だからこそ正解は

あってないようなものになります。

さて、私自身はセオリーをきちんと理解した上で、セオリーに縛られない方向に

トライするのが良いと考えているのですが、いくつかの例をもとに説明して行きたいと思います。

・セオリーは迷った時に立ち戻られる軸として扱う

・正解よりも、優れている点に焦点を向けるためにセオリーを活用する

・なかったら困るものを見つけるためのセオリー

・セオリーは迷った時に立ち戻れる軸として扱う

セオリーは迷った時に立ち戻れる軸として扱うと良いです。

新しいモチーフは方向にトライするときは、どうしても分からない部分と

立ち向かわないければいけないですよね。

けれども一定のセオリーみたいな物を持っていると、それが軸となって、

最低限の作品の質を保証してくれます。

デッサンや絵画でいえば、形の解釈や明暗の捉え方、構成面は描いたことのないものや、

想像で何かを描くときでも基本のセオリーを元にある程度、制作を進めることができるんですね。

デザインにしても、形の省略の方法にはある程度の共通点があったりと、応用は無限ですが、

基本は共通しています。

・正解よりも、優れている点に焦点を向けるためにセオリーを活用する

セオリーがあってそれを知っていることで、判断の基準ができるようになります。

もちろん全てを網羅することができませんが、一定数可能です。

そうすると、軸があるので、仮に新しい視点に出会ったとしても、

軸をどのように応用していったのかが、推測できたり、また違いを見つけたり、

優れている点を見つけやすくすることができます。

ここができるようになると、感情だけでなく、理性でも作品を見ることができるようになり、

より深い芸術体験をすることができるようになるでしょう。

・なかったら困るものを見つけるためのセオリー

セオリーはなかったら困るものを見つけるためにも役立ちます。

例えば、視覚芸術に限らず芸術全般には対比という概念が付きまといますが、

光と影の対比や補色の対比(青と黄色など)がわかりやすいですよね。

つまり、美しさの基準には対比が隠されているともいえます。

また視覚を用いた作品にある対比を工夫すれば、セオリーに添いつつ、

以前には試したことのない新たな感覚に出会うこともできると思うんですね。

逆を言えば、対比について考えれば、対比が弱いと困るようなテーマで作品を進めている場合は

よくないので、この場合は強い対比がないと困るわけです。

以上のように、セオリーはあらゆる応用には欠かせない軸であり、基本といえます。

これはジャンルによって多少変わりますが、原理は同じです。

制作に役立てていただけれ嬉しいです。

最後までありがとうございます。